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鄧小平を称賛、習近平演説の真意は 経済失速で危機感 「改革」へ転換 

読者からの声をもとに、評論家の石平さんに中国に関する質問をぶつけます。中国の習近平国家主席(中国共産党総書記)は8月、かつての最高実力者、鄧小平の生誕120年を記念する演説を行いました。習氏は、改革開放政策を推進した鄧の功績を称賛しましたが、現在の中国政治の中で、この演説にはどのような意味があったのでしょうか。石平さんに解説してもらいました。中国の社会や政治、歴史などについてのご質問をoshiete@sankei.co.jpまでお寄せください。

--改革開放の総設計師と称された鄧小平の生誕120年を記念する座談会が8月22日、北京市の人民大会堂で開かれました

参加したのは習氏以下、最高指導部である党政治局常務委員会の全員で、中国で一番格式の高い座談会でした。しかも鄧の遺族もほぼ全員が招かれていました。かなり盛大に開かれたという印象です。習氏は演説で、とにかく鄧が主導した改革を高く評価しました。あたかも自分こそが鄧の改革の真の継承者であるかのような論調でした。

--習氏が演説で天安門事件に触れたことに注目する報道もありました

演説の中身を細かく取り上げることにはあまり意味はありません。むしろ、全体の流れの中でこの演説をとらえることが大事です。

--と、いいますと

座談会に先立つ7月15~18日、党第20期中央委員会第3回総会(3中総会)が開かれました。本来ならば昨年の秋に開かれるはずの会議でしたから、重大な決定や崩壊寸前の中国経済に対する起死回生の重要政策が打ち出されるのでは、との観測もありましたが、期待外れに終わり、市場関係者の失望を買いました。

ただ、最終日に発表されたコミュニケが「改革」という言葉を50回以上も使い、本格的な改革を行うような姿勢を打ち出したことが目を引きました。

さらに注目すべきは「習近平思想」の扱いが小さくなった点です。昨年2月の2中総会のコミュニケは、「習近平思想」に4回触れて「習近平思想の全面貫徹」、「習近平思想を指針としなければならない」、「習近平思想教育の全面展開」などと高く持ち上げていました。それに対し3中総会のコミュニケは「毛沢東思想」や「鄧小平理論」、江沢民の「三つの代表」、胡錦濤前国家主席の「科学的発展観」と並べて、形式的にわずかに1度言及しただけでした。

詳しい事情は不明ですが、習氏が主宰する会議で「習近平思想」をこのように冷淡に取り扱うのはまさに異変であって、尋常なことではありません。

8月29日には、習氏が主任を務める中央全面深化改革委員会の会議が開かれました。そこで習氏はまたもや改革を唱えただけでなく、思想解放まで唱えたのです。思想を抑圧している張本人が思想解放を唱えるのは皮肉ですが、それはおくとして、改革を強調したのは必ずしもポーズだけではありませんでした。

--具体的な政策が打ち出されたのですか

中国政府は9月8日に2つの驚くべき発表を行いました。1つが外資の参入に対する特別管理措置で、製造業に関しては、外資に対するあらゆる制限を撤廃するというのです。改革開放以来、初めてのことで、江政権時代も胡政権時代も、そこまではやらなかった。

もう1つが北京市、天津市、上海市などの9つの地域で、100%外資の病院の設立を許可するという発表です。今まで外資と中国資本の合弁の病院はありましたが、これも初めてのことです。このような一連の流れを見ると、習政権の中で、大きな変化が起きているのは確実です。

--習氏は改革に逆行していた印象があります

習氏がトップになってからの十数年間、特に習氏の独裁体制が確立された政権2期目以降の特徴は、鄧の改革路線からの離反であり、強権的な毛沢東政治への逆戻りでした。毛を意識した習路線がある程度後退し、再び鄧の改革を高々と掲げるだけでなく、政策においても部分的に改革をかなり前進させた。これが大きなポイントです。

--なぜ突如、「改革」を唱えるようになったのでしょうか

考えられるのは、習政権の経済政策の大失敗によって中国経済は今、不動産バブルの崩壊、大量失業の発生、消費の低迷、地方財政の破綻…と、どうにもならない状況になっていて、これ以上の悪化を食い止めなければ、政権自体がもたなくなるという危機感。

もう1つとして、恐らく今、中国共産党の中枢部でも引退した長老たちを含めて、行き詰まった習近平路線に対する批判が強まっていると考えられます。

そして、この流れの中で習氏と、その側近でもある中国ナンバー2の李強首相との軋轢(あつれき)が深まった。これはこれで大きなテーマなので、別の機会があれば詳しく説明したいと思いますが、李氏はおそらく党内の健全派や長老たちの支援を受けて、自らの指導下で経済分野で改革を進めるという独自路線を歩きだした。しかも党内のかなり多くが李氏を支持するという状況の中で、8月22日の座談会があった、と私は受け止めています。

要するに一連の流れの背後には、こうした政治的な変動の要素があると考えられます。

習氏はやむを得ず演説を通じて軌道修正を行い、最終的には鄧にすがる。鄧を高く持ち上げて、自分が鄧の改革の本当の後継者だと演じることで批判をかわし、なんとか自分の地位を守ろうとしているのです。

--今後は習氏が毛ではなく、鄧をたたえる発言が増えていくのでしょうか

いや、恐らく習氏もこのままの方向に行きたくはないでしょう。鄧路線の完全復活は、結局、自分の政治路線の否定を意味し、改革路線を推進する人々が自らに取って代わって政治の中心になるのですから。

実は習氏は反撃を試みています。中国共産党機関紙、人民日報は9月1日、1面で、同日出版の党理論誌『求是』が掲載した教育に関する習氏の重要文書を紹介しました。そこでは今後の教育方針として、共産党支持、社会主義政党支持、共産主義、社会主義の後継者となる若者を育てなければならないということが書かれている。全くもって毛沢東的な思想、考え方ですね。

要するに自分が主導した政治・経済路線が、中国経済の破綻をもたらし、このままだと自分の政権すら危うくなる。だから、経済政策は李氏らに譲るが、一方でイデオロギーの面で自分の政治路線を維持する。こうして習氏は巻き返しの時期を待つのだと思います。(聞き手 原川貴郎)

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